アップサンプリングの限界と楽しさ

 さて最近は映像の方でアップスケールとかアップコンバートなる高解像度というのがはやっているらしい。SD画像をHD化というというCMをみると、オリジナルを復元しているようにおもってしまう。この感覚はアップサンプリングをはじめたときに、ぼんやりとながらおもっていた、期待していたことと同じで、失われた音が、あたかもアップサンプリングで取り戻されるように感じてしまうのはいたしかたがないだろう。
 ただこのような考えをばっさりきってくれるのが、24bit192khzで録音されたソースである。検索するといろいろころがっているが、例えば、ONKYOのSE-90PCIのページで掲載されているハイクウォリティ録音なる音源をみると、一目瞭然、一聴瞭然である。

 上がそれだが、はじめて波形をみたときは"なんだこりゃ"、そしておもわず”ディザっている”とおもった。なんかいままでみたことのない波形で、特に細部をみればみるほど明らかで、あるところはのこぎり調、あるところは拡散と、このわずかの瞬間に多種多様な”ディザ”がみられるのである。もちろんこれは人工的に付加したディザではないのだが...。これまでやまほどアップサンプリング後の24bit192khzの波形をみてきたが全く種類が違う。

 下はいつも掲載に使っている16bit44.1khzのソースを24bit192khzにアップサンプリングしたもので、狭い範囲の2点間をじっくりみると、やはり補正の宿命か、なめらか、そしてなめらかすぎるのがわかる。

 そして、下はディザをアップサンプリング時に付加したもので、付加しないもに比べると”ディザ”ってはいるが、最初のハイクウォリティ録音の”ディザ”ではない。

 このようにアップサンプリングによってオリジナルが復元されることは決してない。やっぱりオリジナルはすごいのである。おそらくこれは絵画でも書物でも、建築でもなんでもそうだろう。”復元”とは安易に使えない言葉である。
 アップサンプリングもあくまでもそれに近づこうとする試みだ。的(まと)はあっているがその周辺までしかいけない。だがそれでも得られる感動は、やはり他では得難いものである。だからやめられない。さてさてアップサンプリングのために1TBのHDを買ったがそろそろ残りが気になりはじめた。はて映像でこんなことをやりはじめたらこんなことではすまない、とんでもないことになるな。